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  • 執筆者の写真渡部勇人

博士課程の皆さんへ

博士課程の皆さん。

あなたはD1ですか?D2ですか?D3ですか?あるいはそれよりもっとお兄さん、お姉さんですか(笑)?

いずれにせよ、いうまでもなく、博士課程の院生の心理には、修士課程の院生にはない、独特のものがあります。ご存知のように、修士課程の院生には入学後二年間(弱)で修論を提出し修了する「義務」があります。一方、博士課程の院生には、規定上の通常の修学年限である3年間で博論(課程博士)を提出して修了する「義務」はありません。義務がないとは?自由ということですね。自由は素晴らしい。しかし…。「自由」のもと、人は立ちすくむのです(フロム『自由からの逃走』)。指導教員も3年間で博士論文(同上)を書かせる職務上の義務を負っていません。修論が指導教員の個人的な責任に基づく指導によるものであるのに対し、博論が認定された暁には、大学の名前が冠されます。つまり、博論の認定というのは、その大学の威信をかけた、いわば全学的な仕事でもあるわけです。そう簡単には認められないのも納得いただけるでしょう。例えば、明治大学は「早稲田にだけは負けたくない!」。早慶は「東大に劣っていると言われたくない!」…云々。


博士課程の院生は一般的に、学年が上がるたびに普通の就職が難しくなるという「現実」に直面します。「博論を早く出したい、でもまだ無理」、「今ならまだ公務員試験を受けられる」、「親が年老いてきた」、「来年度も奨学金を借りなければならない」…云々。博士課程の院生の精神的ストレスは、心身の健康を蝕みます。ましてや終日図書館にこもることによる(今は自宅にこもらざるをえず、さらに問題?)慢性的な運動不足に加え、未婚者が多いがゆえの(?)食生活のアンバランス。このようにして、ドクター生は心身を病んでいくのです…(^^)。


では、修論のようにわかりやすい期限の目標のないドクター生はどうすればいいのか?

突飛なようですが、愛することです。


長く院生生活を支えてくれているご両親への愛。大学および自らの威信と名誉をかけて指導してくれている指導教員への愛。そして、それ以外にあなたの博論完成を何の私心もなく楽しみにしている誰かへの愛。日本語学校の教員や経営陣も、あなたが思っている以上にあなたのことを思い出し、応援しています。


人は愛されることで満足と幸福を得ます。しかし、愛することで心の奥底から湧き出る力を感じることができます。そして、愛は必ずしも自然発生的な感情ではなく、意思と気持ちの制御で確実なものとして掴み、保持することができます。

独断と偏見に基づき博士課程を乗り切る方法論についての私見を披歴させていただけるなら、「愛すること」ということになります。

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